「さまざまな意見の人たちが、コーヒーの香りと紫煙の中で、政治を論じ、権力を批判する」。17世紀半ばから18世紀にかけロンドンで繁栄した「コーヒー・ハウス」は、そんな場所だったらしい。時代背景といい、そのブルジョワ的喧噪ぶりといい、江戸時代の「浮き世風呂」や「浮き世床」を彷彿とさせるが、著者が「人間のるつぼ」と表現するこの市井のサロンには、政治家、芸術家、詩人、小説家、ジャーナリストから、政府の隠密、海運業者、株屋、はては賭博師、詐欺師、スリ、その他もろもろの犯罪者まで、およそ大都会にうごめくありとあらゆる人種が立ち混じっていた。その日常のにおい、出入りする「ボー(粋人)」「ウィット(才人)」の人間模様、政治・経済・社会的機能を、著者は、ダニエル・デフォー、ジョナサン・スウィフト、日記作家のサミュエル・ピープスらの記述、当時の新聞記事、広告などから、克明に活写している。しかし、そうして再現された「コ−ヒ−・ハウス」なるもののかたちは、町人だけの社交場だった江戸の湯屋とはかなり様相が違うようだ。 この「人間のるつぼ」は、政治的には「トーリー(保守党)」と「ホイッグ(自由党)」の苗床だったし、経済的には世界最大の保険機構「ロイズ」を萌芽させる土壌だった。文化的には、「詩人ジョン・ドライデンを中心として17世紀末のイギリス文学、とくに詩と演劇の分野に大きな影響を与え」「ジャーナリズム、エッセー文学の成立に貢献した」。そればかりか、たとえば、ロンドン大火(1666年)の原因として「カトリックの陰謀事件」を捏造するようなデマゴギー機関としての役割も果たしている。言ってみれば、ロンドンのコーヒー・ハウスは、イギリス18世紀文化の内臓機関だった。この本を読むと、それがよくわかる。(伊藤延司)
在りし日の公共圏
読んでいるとコーヒーが飲みたくなってくる! コーヒーの香り、煙草の煙、そして喧騒。 ロンドンのコーヒーハウスと市井の人々の日常の様子がうかがえる一冊。いまやイギリスにおいてはコーヒーハウスよりもパブのほうが多いように思うが(というか、コーヒーハウスでも酒を出すようになった、という見方のほうが正しいのかもしれないが)、パブにおいても、そこでの議論の文化が今でも残っているように思われる。 とはいえ、ハバーマスの言う「公共圏」としてのコーヒーハウスは、やはりこの時代のことで、いまや存在しないのだな、などと思った。 そんな時代認識にも手軽に読める書であろう。 残念なのは、それぞれが奇抜な色でできた不器用なパッチワーク状の構成。 どういうことかというと、それぞれのエピソードはそれぞれに光っているのに、そのつなぎ方があまりにも不器用で、ぐいぐい読める、という感じではないということ。 構成さえ上手くいけば、もっと面白い本になったのではないだろか。 なんだかちょっと消化不良感が残った。
講談社
コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書) 図説 ロンドン都市物語―パブとコーヒーハウス 茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 (596)) イギリス近代出版の諸相―コーヒー・ハウスから書評まで (SEKAISHISO SEMINAR) 一杯の紅茶の世界史 (文春新書)
|